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大阪家庭裁判所 昭和41年(家)6605号 審判 1967年2月03日

申立人 竹内美枝子(仮名) 昭和二六年六月二八日生

法定代理人親権者母 竹内多喜枝(仮名)

相手方 上田勝(仮名)

主文

申立人と相手方間の当裁判所昭和三三年(家イ)第五三、五四号認知並に扶養調停事件につき、同年三月一五日成立した調停条項第二項を次のとおり変更する。

相手方は、申立人に対し、扶養料として、金七五、〇〇〇円を即時に、昭和四二年二月一日から申立人が成年に達するまで一ヶ月金一五、〇〇〇円の割合による金員を各月の二五日に当裁判所に寄託して支払え。

理由

申立人は、当裁判所昭和三三年(家イ)第五三、五四号事件につき成立した調停条項のうち扶養料月額金三、〇〇〇円の増額とその終期につき然るべき裁判を求め、その理由は、「上記事件につき、当事者間に昭和三三年三月一五日に、(一)相手方は、申立人を認知することとし、速かにその届出をする。(二)相手方は、申立人に対し、扶養として昭和三三年三月より申立人が満一九歳に達するまで毎月末日金三、〇〇〇円を大阪家庭裁判所に寄託して支払う。との調停が成立した。相手方は、上記調停条項を滞りなく履行しているが、その後の物価騰貴により、上記金額では扶養の趣旨に合わず、申立人を養育している母竹内多喜枝の経営する飲食店の業績が思わしくなく、申立人の扶養が極めて困難な状態にある。相手方は、○○信用金庫専務理事として相当な収入を得ている。申立人は、現在大阪市立○○中学校三年に在学中で高校に進学予定であるので、扶養料の増額を求める。」というのである。

本件調査の結果によると、次の事実を認めることができる。

申立人は、昭和二六年六月二八日母竹内多喜枝と相手方との間の非嫡出子として出生した者であるが、昭和三三年一月一六日相手方に対し当裁判所に認知ならびに扶養の調停の申立をし、当庁同年(家イ)第五三、五四号調停事件として調停がなされた結果、当事者間に同年三月一五日に申立人主張の調停条項による調停が成立した。相手方は、同月一七日大阪市南区長に対し申立人の認知届をし、上記調停成立以後今日まで申立人に対し上記調停条項に定める扶養料を支払つた。申立人は、出生以来母竹内多喜枝に養育されて現在大阪市立○○中学校の三年に在学中であり、心身ともに健全で学業成績も上位にあり、本年四月に大阪府立○○高校に進学を希望している。上記のように調停成立後相当の年月を経、物価も高くなり生活費や学校の費用も増大したので、申立人は、母多喜枝を代理人として昭和四一年七月一二日本件扶養料増額の調停申立をし(当庁昭和四一年(家イ)第一七八〇号事件)、同年八月二日第一回調停期日が開かれ、申立人は、同期日に相手方に対し扶養料の増額請求をした。その後同年一〇月四日までの間四回調停期日が開かれ、結局申立人は、扶養料として一ヶ月金二〇、〇〇〇円を請求し、相手方は、申立人が成年に達するまで一ヶ月金一〇、〇〇〇円を支払うことを限度として申立人の請求を認めたが、双方は互に自己の主張を固執して譲らなかつたので、上記調停は、昭和四一年一〇月四日不成立となり、審判に移行した。

申立人の母竹内多喜枝は、昭和三三年頃から大阪市南区○○○二丁目二二番地でスタンド式の料理飲食店を経営し、申立人を養育し、申立人と二人で暮している。竹内多喜枝は、約二〇〇万円相当の上記店舗の権利を有するのみで不動産を所有せず、上記店舗の祖収入月額平均金四五〇、〇〇〇円あり、その利益は約金一八〇、〇〇〇円であるが、営業の必要費として店舗の光熱費、電話料各約金一〇、〇〇〇円、使用人給料金二五、〇〇〇円掃除婦給料金一二、〇〇〇円、店舗の賃料一二、一〇〇円等を要し、差引月収約金一〇〇、〇〇〇円であるが、上記店舗の権利金一、〇〇〇、〇〇〇円、住居の権利金三〇〇、〇〇〇円の借入や、約三年前病気のため七ヶ月入院したためその療養費や休業のために債務を生じ、株式会社○○相互銀行に金一、二〇〇、〇〇〇円、○○商事株式会社に金一、二八〇、〇〇〇円、○○商店に金七五、四四〇円、○○信用株式会社に金八〇、六三〇円、○○信用組合に金七八〇、〇〇〇円、以上合計金三、四一六、〇七〇円の債務を負担しており、その元利金の支払におわれ、実際に家計に費消できる金額は一ヶ月約金五〇、〇〇〇円(アパートの賃料金一六、〇〇〇円を含む)位である。

相手方は、昭和二九年から○○信用組合の常務理事となり、昭和四〇年六月から専務理事となり現在に至つており、不動産として、高石市○○○四丁目一一二九番地の九宅地九三、一五平方メートル、同番地の一〇宅地三〇七・六七平方メートル、同宅地上木造瓦葺二階建居宅一棟一〇四・八五平方メートル以上評価額合計金二、二一六、九〇〇円を所有し、昭和四一年度の総所得五、一一〇、〇〇〇円を得ており、家族としては、母ふく(七〇歳)妻千代子(四八歳)、長男信弘(二四歳)、二男康博(一九歳)がある。長男信弘は、就職し神戸市に居住し、二男康博は、○○大学に在学中で京都市内に下宿している。相手方は、就職している長男信弘に対し現在でも部屋代として一ヶ月金一〇、〇〇〇円を補助し、二男康博に対し下宿代として一ヶ月金二〇、〇〇〇円を与えている。相手方は、手取月収約金二〇〇、〇〇〇円を得ているが、長男・二男に対する仕送や交際費・社交費等を差し引くと実際には、一ヶ月金一〇〇、〇〇〇円で一家の生活をしている。

以上認定の事実によると、申立人は、その母竹内多喜枝と相手方との間の非嫡出子として出生し、昭和三三年三月一七日相手方から認知された者であることが明らかである。相手方は、申立人の父として未成年者である申立人の扶養につき、いわゆる生活保持義務を負担しているものというべく、相手方が申立人の親権者でないからといつて扶養の義務を免れるものではない。また、申立人の母竹内多喜枝は、実母であり親権者として申立人を扶養すべき義務があり、その義務もまたいわゆる生活保持義務である。従つて、相手方も竹内多喜枝もともに申立人を扶養すべき義務があるというべきである。申立人は、まだ中学三年に在学中の者であり、特に財産を有することが認められないから、扶養を要する状態にあるというべきである。申立人の母竹内多喜枝は、料理飲食店を経営し、母子の生活費として使用し得る収入月額金五〇、〇〇〇円を得ているのであり、生活に困窮している状態にあるとは認められないが、他方相手方は、月収金二〇〇、〇〇〇円あり、少くとも生活費として使用し得るもののみでも一ヶ月金一〇〇、〇〇〇円を下らないものを得ており、その生活にも余裕があると認めるのを相当とする。若し、申立人が相手方方において相手方と生活をともにするとすれば、母方で生活するよりもよりよい生活をすることのできることは明らかである。そして、後記認定の扶養料の支払を相手方方から受けることにより、母方で生活し、母多喜枝の扶養能力とを併せると、申立人が相手方方で生活するのとほぼ同じ程度の生活ができるものと認めるのを相当とする。上記認定の相手方の資産収入・生活状態、申立人の母の資産収入生活状態、申立人の年齢生活状態、本件調停の経過その他諸般の事情を併せ考えると、昭和三三年三月一五日成立した調停において定められた一ヶ月金三、〇〇〇円の扶養料の額は僅少であるから、増額請求のあつた月から一ヶ月金一五、〇〇〇円に増額するのを相当と認めるべきである。そして、申立人は、本件第一回調停期日である昭和四一年八月二日に扶養料の増額請求をしたことが明らかであるから、本件扶養料の額は、昭和四一年八月分以降一ヶ月金一五、〇〇〇円に変更するのを相当とし、その支払をなすべき終期及び支払の方法は、申立人が成年に達するまでとし、毎月二五日に当裁判所に寄託して支払うこととするのを相当とする。そうすると、相手方は、申立人に対し昭和四一年八月分から一ヶ月金一五、〇〇〇円づつ支払うべきところ、昭和四一年一二月分まで調停で定められた従前の一ヶ月金三、〇〇〇円の支払をしていることが明らかであるから、既に履行期の到来した昭和四二年一月分までの合計金九〇、〇〇〇円から既に昭和四一年八月から同年一二月までに支払つた金一五、〇〇〇円を控除した残金七五、〇〇〇円を即時に、昭和四二年二月一日から申立人が成年に達するまで一ヶ月金一五、〇〇〇円づつ支払う義務があるというべきである。

よつて、本件当事者間の当庁昭和三三年(家イ)第五三、五四号調停事件につき昭和三三年三月一五日に成立した調停条項第二項を変更し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 岡野幸之助)

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